ウルティマオンラインの思い出

PCのディスク容量が残り少なくなりファイルを整理していたらスクリーンショットが出てきたので、『ウルティマオンライン』について回顧する。

ウルティマオンライン(UO)はいわゆるMMOという多人数同時参加型のネットゲームである。オンライン上のフィールドに多数のプレイヤー(NPCではない他のプレイヤー)が存在するRPG、といっても今ではそれは珍しくもなんともないけど、当時はドラクエのようにオフラインのゲームが当たり前の時代だったのでそのこと自体が画期的なものだった。

UOが正式に発売された1997年は当然として、自分が初めてプレイした2002年頃でもゲームといえばドラクエやFFのようにネットに接続しないで遊ぶ家庭用ゲーム機が普通のものだった。

だから自分以外のキャラクターを他のプレイヤーが操作していて、みんなが好き勝手にチャットやプレイをしていることに衝撃を受けた。

 

・当時の貧弱な回線とマシンだったので、人が多く集う場所ではコマ送りになってまともにプレイできなかった

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ちなみに、2000年代前半というのはやっとPS2が普及してきたころで、インターネットもADSLやCATVが地方都市でもやっとサービス開始され、常にインターネットに接続することができるようになった時期である。「IT革命」という言葉が盛んに叫ばれ、ソフトバンクがシェアを拡大するために駅前でモデムを無料配布していたことを記憶している。

当時、中学生だった自分の家にも富士通NECあたりのノートPCとADSLが登場して、ちょうど無料体験キャンペーンをやっていたUOの広告を見かけたことでブリタニア(UOの世界をそう呼ぶ、プレイヤーはブリタニアン)にのめり込んでいくことになった。

 

・レアアイテムを求めて何時間も狩りを続ける(最近は課金することで省略できるものになってしまった)

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UOではモンスターを倒しスキル(レベル)を上げるだけでなく、鍛冶屋や裁縫などの生産活動をしたり、フィールドに個人の家を建てることができるので内装に凝ったりと、リアルとは別のもう一つの自由度の高い世界をプレイヤーが工夫して遊ぶことが魅力だった。

 

・自分で育てた植物を家に飾り内装を競う

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・個人の所有する店に売り子を置くことで自分が手に入れたり生産したアイテムを売ることが可能だった

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基本的に他のプレイヤーから盗みを働いたり攻撃することは禁じられていたが、一部の限定されたエリアではそれが許されていた。

その中で他のプレイヤーを殺してアイテムを奪ったりするプレイヤーはPlayer-Killer(PK)と呼ばれ、またそれに対抗するPlayer-Killer-Killer(PKK)も登場するなど、他のプレイヤーと腕を競いあうPlayer vs. Player(PvP)を好む人間も多かった。

自分もそのPvPにどっぷりと夢中になってしまった。僕はPvPを中心にもう一人の自分をロールプレイしていたのだ。

 

・PKは名前が赤く表示され判別できるようになっていた

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僕も最初はPKKをしているものの、より戦う機会を求めてあっという間に赤ネーム(PK)になってしまった。

PKは常に狙われる存在なので、ギルドというチームを組んでプレイするようになる。

毎日夜中になると仕事や学校を終えてログインして戦場に向かうことで団結し、プライドをかけて他のギルドと腕を競い合うのだ。(無職も多かった。当時はネトゲ廃人という言葉が話題になった)

 

・当時所属していたギルドのメンバー達と。視認性を高めるために洋服を揃えるものだった

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長くなってしまったので、UOPvPの魅力はまた今度。